活字書体をつくる

新しい活字書体として復刻するための覚え書きです。修正・加筆することがありますのでご了承願います。

漢字書体「武英」の企画書 1/3

1 活字書体の名称

 

  「武英」(ぶえい)

 

北京・故宮博物院の西南部に位置する武英殿から、書体の名称を「武英」とした。

参考:

武英殿は明代初頭に創建された。明代には皇帝の斎戒や大臣接見の場となり、清代には御用絵師のアトリエになっていたが、清代の1680年(康煕19年)以降には武英殿修書処が置かれて書籍編纂の場となった。最も多い時には1,000人以上の文人がここで書籍の編纂に取り組んだという。「武英」の資料である官刻本(銅活字)の『古今図書集成』(1726年、武英殿)も、ここで編纂されたと思われる。現在、武英殿は、歴代の絵画、書、古籍・善本を展示する場として一般公開されている。

 

 2 活字書体の分類

 

  漢字書体・過渡期明朝体

 

清の康煕帝雍正帝乾隆帝の時代に、武英殿および民間出版社によって銅活字や木活字で刊行された書物にあらわれている書体は、明代の刊本字様である「明朝体」と清代後期の「近代明朝体」との過渡期にあたると思われるので、これらを「過渡期明朝体」という。

(参考)下記のような分類を提案している。

●宋代の刊本字様(木版印刷)を宋朝体といい、欣喜堂では「陳起」と「龍爪」を制作している。欧字書体のヴェネチアン・ローマンに当たる分類に位置付けている。

●明代の刊本字様(木版印刷)を明朝体といい、欣喜堂では「金陵」を制作、「鳳翔」などを試作している。欧字書体のオールド・ローマンに当たる分類に位置付けている。

●清代前期の銅活字版・木活字版の活字書体を「過渡期明朝体といい、欣喜堂では「武英」のほか、「聚珍」と「宝玉」を試作している。欧字書体のトランジショナル・スタイルに当たる分類に位置付けている。

●清代後期以降の鉛活字版の活字書体を「近代明朝体といい、欣喜堂では「美華」のほか「上巳」を試作している。欧字書体のモダン・スタイルに当たる分類に位置付けている。 

 

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『文字とタイポグラフィの地平 (アイデア・ドキュメント) 』(アイデア編集部編、誠文堂新光社 、2015年)より。