活字書体をつくる

Blog版『活字書体の仕様書』

明朝体・呉竹体・安竹体——近代漢字書体の三系統 

「美華」「伯林」「倫敦」——「日本語書体三傑」より

金属活字書体の揺籃期の見本帳『BOOK OF SPECIMENS』(平野活版製造所、1877年)では、ローマン体の各シリーズの他に、欧字書体としてのアンチック(Antique)とゴシック(Gothic)が掲載されている。ここにあるアンチック(Antique)とは、スラブセリフと呼ばれるカテゴリーに属する書体のようである。この見本帳では(近代)明朝体は掲載されているが、漢字書体のゴシック体、アンチック体はまだない。のちに、漢字書体として制作される際に、何らかのヒントになったのではないか。

金属活字書体の黎明期の見本帳『座右之友』(東京築地活版製造所、1895年)では「五號明朝」とともに、「五號ゴチック形文字」、「五號アンチック形文字」が掲載されている。欣喜堂では、「五號ゴチック形文字」から漢字書体「伯林」、「五號アンチック形文字」から漢字書体「倫敦」として復刻するための試作をしている。収録されている字数は少ないが、漢字書体の古いゴシック体、アンチック体がラインナップにほしいと思ったからである。「五號明朝」は、そのルーツにあたると考えられている『旧約全書』(上海・美華書館、1865年)から漢字書体「美華」として復刻するための試作をしている。

「日本語書体三傑」は、この「美華」、「伯林」、「倫敦」を和字書体と組み合わせた書体ファミリーである。

 

「上巳」「端午」——「日本語書体十二撰」より

金属活字書体の成熟期には、東京築地活版製造所、秀英舎をはじめ、日本国内の活字メーカーは、本文用書体として(近代)明朝体の各シリーズを揃えていった。また、ゴシック体も見出し用として順次、製造していった。ゴシック体はしだいに普及していったのに対して、アンチック体の漢字書体はまったく見られない。和字書体のみの書体として、ゴシック体との混植によってのみ生き残ることとなった。

欣喜堂では、『中国古音学』(張世禄著、上海・商務印書館、1930年)の本文書体を「上巳」として復刻するための試作をしている。この上海・商務印書館の(近代)明朝体は腰を低くしてどっしりとした安定感がある。ゴシック体については『中国古音学』ではサンプル数が少なかったので、『瞿秋白文集』(瞿秋白著、北京・人民文学出版社、1953年)の見出しに用いられているゴシック体をもとにして、漢字書体「端午」として復刻するための試作をしている。商務印書館の明朝体と同様に、腰を低くしてどっしりとした安定感がある。

「日本語書体十二撰」には、この「上巳」、「端午」を和字書体と組み合わせた書体が含まれている。

 

「白澤明朝」「白澤呉竹」「白澤安竹」——「星屑書体集成」より

手動写植機用の活字書体として、石井明朝体ファミリー、石井ゴシック体ファミリーとともに、「石井横太明朝」という書体がある。この書体について、佐藤敬之輔氏は『ひらがな 上』(丸善、1964年)のなかで、「要するに漢字を加えたアンチック体である」と書いている。

電算写植書体の世代には、光学式電算写真植字機(SAPTON)用に開発された本蘭細明朝体(本蘭明朝L)を皮切りに、CRT式電算写真植字機(SAPTRON)用として開発された本蘭明朝ファミリーがある。本蘭明朝L(本蘭細明朝体を改称)、本蘭明朝M、本蘭明朝D、本蘭明朝DB、本蘭明朝B、本蘭明朝E、本蘭明朝Hの7書体である。レーザー式電算写真植字機(SAPLS)が開発され、本蘭明朝に対応する本蘭ゴシック・ファミリーが制作された。本蘭ゴシックL、本蘭ゴシックM、本蘭ゴシックD、本蘭ゴシックDB、本蘭ゴシックB、本蘭ゴシックE、本蘭ゴシックH、本蘭ゴシックUの8ウエイトからなる。本蘭アンチック・ファミリーも試作していたが制作されることはなかった。

欣喜堂では、デジタルタイプ新世代として、近代明朝体の「白澤明朝」、ゴシック体の「白澤呉竹」、アンチック体の「白澤安竹」を試作している。白澤とは古代中国において、鳳凰麒麟と同じように有徳の王の時代に現れるという想像上の神獣である。

もともと勉強会のための教材として作ったもので、現実的に商品化することはないだろうが、新しい時代への架け橋となるようになればと考えている。