活字書体をつくる

Blog版『活字書体の設計図』

漢字・第1回 復刻、翻刻、そして新刻(漢字書体)

復刻(活字→活字)

筆者が仕事として最初に取り組んだ漢字書体は『広漢和辞典』(大修館書店)用石井細明朝体(特注)だった。写植文字盤から48mm角のサイズに拡大したフィルム原字を修整した。

仿宋体(簡体字繁体字。日本語版の紅蘭細宋朝体は販売されていない)も写植文字盤(活字の清刷りだったかもしれない)から拡大したフィルム原字を修整した。当時は単に修整作業だと思っていたが、今から考えると復刻書体だったのだと思える。

本格的に復刻書体と認識して制作したのは、秀英明朝であった。秀英舎の『明朝初号活字見本帳』から、掲載されているすべてのキャラクターを48mm角のサイズに拡大したフィルム原字を修整した上で、それに合わせて、写植の基準的なフォントとして不足な字種を制作していった。

欣喜堂・漢字書体二十四史の復刻書体、「武英」「美華」「上巳」などは、書籍の本文が原資料である。書籍そのものが入手できなかったものは、影印本、図書館所蔵のものは電子的複写物をファイリングしている。

欣喜堂・日本語書体八策として制作している「武英」の原資料は京都大学付属図書館の電子アーカイブで多くのページが公開されていた。書体見本帳のように並んでいるわけではないが、本来なら、できる限りのキャラクターを抽出すべきところである。

しかしながら、その方法ではあまりにも効率が悪い。そこで1ページから抽出した100字程度のスキャン・データを取り込んで、電子的双鉤塡墨法でアウトライン化することにした。

この100字をもとに、筆法・結法・章法を把握したうえで、日本語書体として必要な全キャラクターを制作することにした。

 

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翻刻(書字・レタリング→活字)

欣喜堂・漢字書体二十四史翻刻書体もまた、影印本、図録、または電子的複写物を原資料とした。

活字書体でいう翻刻書体は、書道の「臨書」に近いと感じている。臨書とは、古典をお手本とし、手本の書風を取り込むことである。臨書には手本を忠実に書き写す「形臨」と、手本を書いた人の意思を汲み取りながら行う「意臨」と、手本を見ないで記憶して書く「背臨」の3種類がある。

欣喜堂・日本語書体八策として制作した翻刻書体のうち、「陳起」、「志安」、「金陵」、「蛍雪」および「龍爪」は、基本的には形臨であるが、制作を進める上で、意臨へと展開していった書体だと捉えている。

また、「銘石」および「方広」は、意臨から背臨へと展開していこうと考えて制作している。背臨は厳密には臨書ではないように見えるが、手本を観察した上で行なっているので、臨書の一種だということである。「銘石」も「方広」も、書風は変えないように留意しながら、活字書体としての機能を持たせようとしているのである。

 

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新刻

写植書体の時代の「いまりゅう」や「今宋」の漢字書体は下書きから書き起こした新刻書体である。翻刻書体を書道の「臨書」に例えるならば、新刻書体は、「自運」にあたる。自運とは手本を使わず自分の意のままに筆を動かすことである。

「いまりゅう」や「今宋」は、48mm角の下書き用紙に鉛筆で描き、それをフィルムにトレースして仕上げていくという方法であった。この方法で制作したのは約四〇〇字で、数名で構成されたチームにより、四〇〇字から合成作字して必要なすべてのキャラクターを仕上げていった。

欣喜堂では、新刻で「白澤明朝」、「白澤呉竹」、「白澤安竹」を試作している。書体見本12字に限っては、48mm角の下書き用紙に鉛筆で描き、これをスキャンデータとしてテンプレートに取り込み、アウトライン化していくという方法をとっている。それ以降の制作はすべてコンピューター上で行うことになるだろう。